娘と私のことを書きました。
私が娘にしてあげたかったことは沢山あります。
こうしてあげたいと思い、やったことが沢山あります。
ただそれが、娘が望んでいたかというと、違っていたのかもしれません。
私が子供の頃、してもらえなかっとこと。
そんなことを中心に、してあげた気がします。
あまり母に構ってもらった記憶がないので、私は娘に、あれこれ口を出しました。
お弁当は祖母が作ってくれていたので、私は娘に、お弁当作りを頑張りました。
でも娘は、
ほっといてもらいたかったのかもしれません。
食が細くて、お弁当に興味なかったのかもしれません。
なんというか、需要と供給が合ってないような感じです。
今、思うと
私は本当に娘を、見ていたのだろうか?
と思います。
娘ではなく
私自身を
母を
見ていたのではないのだろうか?
そんな風に思います。
娘が何を望んでいて
娘が何を嫌がっていて
娘がどうして欲しかったか
それをちゃんと見ていなかった。
見ているようで、自分の思い込みでしか、見ていなかった。
そんな気がしています。
あなたは、お子さんを見ていますか?
あなたは、お子さんが見えていますか?
人は
見ているようで、見えていません。
特に子供や近い家族は
遠慮がない分、自分の物差しで相手を測りがちです。
私には、見えてなかった気がします。
自分はこうだったから
相手も(娘も)こうして欲しいに違いない。
そんな風に勘違いしていた気がします。
相手が、何を望んでいて、どうして欲しいのか
恋愛でも
動物でも
子供でも
きっと同じです。
してもらいたいことを、相手がしてくれたから
相手は驚き、喜びます。
してあげたいことをしても
相手がしてほしくなかったら、それは相手嫌がります。
恋愛でも、よくあります。例えば、恋人の女性がひとり暮らしの男性の家に、急に、ご飯を作ってあげると言って、訪ねて来ます。
女性は、恋人がびっくりして喜んでくれると思いました。
でも男性は、これから1人で仕事をするつもりだったので迷惑でした。
こんな行き違いは、よく起こります。
してあげたいことと
してもらいたいことは
違います。